• SITEMAP

HOME 文化財 雲住寺 石造仏龕

雲住寺 石造仏龕

雲住寺 石造仏龕
  • 指定番号 : 宝物第797号 (1984. 11. 26)
  • 規模 : 高さ 5.3m
  • 年代: 高麗時代
  • 管理機関 : 雲住寺
  • 所在地
  • 住所 全南 和順郡 道岩面 龍江里 43

石造仏龕
円形多層石塔の南側5m地点に位置するこの仏龕は、八作屋根の形態で、その中に石仏坐像二体が壁を間において互いに背を当てている。 この仏龕に対しては『東国興地勝覽』(券四十) 綾城県の仏宇條に『雲住寺千仏山…中略… 又有石室・二石仏相・背而座』と言及した記録が見られる。東国興地勝覽の編集者がひときわ仏龕内の双背仏に注目したということは、双背仏が多くの石仏・石塔の中でその中心的位置を占めているところに由来するものと考えられる。 仏龕の平面は方形で、平たい基壇石の上に5枚の板石を利用して、組み合わせた壇上があり、その上に1枚の甲石があるが、各面に13葉の仰蓮が陰刻されている。仏龕の中には1枚の板石を立て、空間を2分した。上段は割れており、両側に火炎文が彫られ、光背の役割をしている。 両側面は1枚石を立てて壁体を構成し、全面は左右の壁体で塞がれており、中央は開いているが、門柱の部分に引き戸設備と見える穴が上段左右にだけある。 屋根は八作屋根形態で、パルメ石で作られており、太い棟が水平に設置されている。左右の軒の端の部分に瓦が見えるが、1940年代に撮影した写真と同一の姿で、屋根の一部と仏像の下の部分がセメントで補修されたが、これも野村孝文の論文に言及されており、1920年の写真と比較して見ると、1920年から1940年の間に修理されたものとみえる。 (高さ 507cm,広さ363cm) 仏龕内の寺の敷地の入り口に向かった南側の仏像を注意深く見ると、六界部分が破損され、相好は概して丸く、目から口の付近まで長長しく表現した耳は陽刻で、耳の輪は陰 刻で彫られている。 細目の眉毛と鼻面が破損した状態であり、陽刻でセメントで補修された。細い目は線刻で、眉毛より若干低く描写した。 首は短く三道が表現された。法義は通兩肩法であり、右側の肩に掛っている裾は、左肩からみぞおち部分を越え下半身まで覆った形態である。 手印は右手をお腹に当てて左手を膝の上に乗せた姿である。手首までしわが陰刻され、指が描写された。突き出した足の形態は右足を上げて載せた結跏趺坐の形で吉祥坐に属し、左足のこじれた姿が裾に覆われて見えない。 足の裏と足の指を除いた脚には、使臣の服のしわが流れ落ちる。光背は台形の板石に頭光と身光が区分なくくねくねとした模様が線刻されているが、火炎文の表現としてみられる。 (仏像の高さ245cm, 頭の高さ88cm, 肩の幅134cm, 膝の高さ88cm, 仏像の厚さ 48~72cm, 光背の高さ 301cm, 光背の厚さ 21.5cm)
北側の石仏坐像
北側の仏像は円形多層石塔を望んでいる。 相好は円満相であり、細目の眉毛、細く開いた目、相好はかすかな口で表現した。耳は形だけ持ち合わせ、鼻はセメントで補修したものだ。頭は六界がない。 首は短く三道が表現された。法義は通兩肩法である。両側の肩から下がってくる服のしわが胸の中央から集まって、石仏坐像と同じように、手印の一旦を推測できるが、詳しいことは分からない。 座った姿勢は服のしわが少し重なっており、右足を上にのせて座った形であることが分かる。 光背は南側の石仏坐像と同じように、仏像と若干離れており、南側の座像が一行の線刻イムに比べ、北側の座像は尾が細く長い楕円形で、これも火炎文の変形とみえる。雲住寺の仏像の中で光背表現のあるものは、この石造仏龕内の石仏座像の二体と、磨崖如来坐像・光背をもった石仏坐像で、わずか4例をみせている。 (仏像の高さ264cm, 頭の高さ107cm, 頭の幅89cm, 肩の幅152cm, 膝の高さ198cm, 仏像の厚さ41~57cm, 光背の高さ 313cm, 光背の厚さ22cm)