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和順 雲住寺址一円

和順 雲住寺址一円
  • 指定番号 : 史跡 第312号 (1985. 4. 15)
  • 規模 : 寺の敷地一帯(150,633坪)
  • 年代 : 高麗時代
  • 管理機関 : 雲住寺
  • 所在地
  • 全南 和順郡 道岩面 龍江里・大草里一帯

雲住寺の創建と千仏千塔の建立は統一新羅末、道詵国師によるものと伝わっている。しかし文献上で伝わる資料には、いまだにこの点に関する記録が殆んど無く、ただ 新增東国輿地勝覽の綾城県條に記録が見えており、現存の石仏石塔の由来を汲み取ることができる。 ここ雲住寺は海抜100m内外の比較的低い野山地帯として、仏跡は平地と野山など半径約200mの範囲内に散在している。1984年、全南大学博物舘の調査団によって確認された遺跡は石塔18基、石仏52躯だが、石仏においては仏の頭だけ残っているもの20躯あまりがさらに収集された。 全南大学博物館の発掘では多くの遺物が出土されたが、特に注目される遺物として、高さ18.8cmになる金銅如来立像がある。めっきになった金色は完全に色あせてしまったが、螺髪の頭とかなり大きな六界がある秀でた作品で、高麗初期の造成として評価されている。この仏像は雲住寺の入り口の石仏座台の下から収集されたが、全南地方では近来珍し いケースと言えるだろう。 雲住寺址は1984年の調査時に弘治8年銘、平瓦當瓦とともに日暈文─系靑磁編・梵字文 軒丸瓦など多くの遺物が出土された。寺院境内の多くの石仏および石塔はその彫刻手法が粗く、仮に精製された手法でないとしても、これほど多くの数の石仏石塔が所蔵されている寺院は韓国でその例がないといえる。 朝鮮年代は高麗時代の地方的な特色を最もよく現すケースと見て、高麗中期の12世紀調度と評価されており、このような仏寺は一時にできたのではなく、高麗中期以降まで続いてきたものと推定されている。 世人の関心の中4回にわたって全南大学博物館調査団によって発掘が実施されたが、1次は1984年, 2次は1987年, 3次は1989年 2∼3月, 4次は1989年 9~11月に実施された。 1987年10月に、以前にあった大雄殿を撤去して現在の大雄殿を新築した。1990年には排水路を、1991年に発掘地を整備し、1992年に大雄殿前の石築を補修、1993年に塔3基と石仏3躯を補修、大雄殿後方の石築の補修と暗渠排水路を整備した。 1994年、大雄殿の右側に地藏殿を、大雄殿左側基壇の下に寮舎を新築した。同年10月3日 梵鐘閣を建立し、打鐘式をもった。1996年9月に一柱門工事を着工、1997年4月竣工した。この雲住寺址は地方記念物第47号に指定されたが、1985年史跡に昇格した。