- 和順 孝山里および大薪里支石墓群
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- 指定番号 : 史跡 第410号 (1998. 9. 17)
- 規模 : 支石墓群一帯 (66万3千坪)
- 年代 : 紀元前5~6世紀 青銅器時代
- 管理機関 : 国・公・私有
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- 所在地
- 和順郡 春陽面 大薪里 ~ 道谷面 孝山里一帯
和順の支石墓群は道谷面孝山里と春陽面大薪里をつなぐ峠の両側の渓谷一体に分布している。 渓谷に峠道が出ているが、この峠道は昔から交通路の役割をしてきた場所でもある。支石墓の分布は村の前の平地、村の中にもあるが、大部分渓谷の東側の山すそに沿って群集し立っている。 春陽面大薪里支石墓は海抜65mから125mの間にあり, 道谷孝山里は45mから90mの間で 平地での相対高さである比高は各々45mである。 和順郡道谷面孝山里一帯に分布した支石墓は地表調査を通じて全980個あまりの石材の中で支石など下部が現れたものが20基기, 床石に見えるもの115基など135基が支石墓と推定され、現在床石の下部が埋没されているか、倒壊したものの中で床石の形をみせる石材が100基あまり以上である。 孝山里の支石墓は露出し、確実な支石墓であるか支石墓を築造するために、採石して移してきたものを含めると、少なくとも約250基以上だったものと推定される。