- 和順 梁東浩家屋
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- 指定番号 : 重要民族資料 第152号 (1984. 1. 10)
- 規模 : 家屋一帯
- 年代 : 朝鮮時代18世紀
- 管理機関 : チョン・ヨンブン
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村の真ん中に若干長い四角形に塀をめぐらし、後方にはㄷ字形の母屋を、東側から少々北側に曲がって配置して軸を合わせ、前の方に居間を置いた。中庭と居間は塀がなくそのまま続き、中門の仕切りを居間の左側に小さく造った。中門左側の脇には縦に納屋を置き、中庭の南側を塞いだ。 この前は中門の外に泉があり、塀を別途に回した。その前に一間の正門を造ったが、居間の庭に直角軸で置かれた。居間の庭北東側の角には便所と豚小屋が設置された。居間の北側には中庭から続いた蔵を置いた。 これは南道の両班(ヤンバン)住宅の人為的な形で、母屋は約18世紀,居間は19世紀世紀末頃に建築されたものと推定される。母屋は大きい部屋と板の間が並んでいる南方式だが、板の間の空間が非常に大きく、三つの空間に区分される点が特異である。 骨組みは基本的に両側の羽を3間で処理して、母屋は後方へ継ぎ足し左側の羽を3間、右側は4間、母屋は5間である。台所は東側に置き、前の3間は台所で、後ろの間は台所の部屋である。次は真ん中に左右2間の大きな部屋, 2間の板の間, 母屋の端が真ん中に板の間の順に置かれた。 左側の羽には前の間に笠屋, 次は2間のかさの形の板の広間である。大きい部屋と大きい板の広間の前には縁側を施設し、後退には各々の小部屋を造った。しかし真ん中の板の広間と大きい板の広間の上間の後退は今後再び空間を後ろにさらに抜き出して各々納戸を大きく造っておいた。 小部屋や納屋はすべて格子模様の床を敷き、中部地方と違った特異性を現している。台所も前側に1間は別途に後で補修したものであり、右側側壁は軒下を利用してホッキドゥン(柱)を立て、増築したものである。しかしこのホッビョク(壁)の構造は特異で、桁が垂木の下までいかず、ウルダムのように虚空に浮かんでいるホッドリである。 壁も厚いビンジナルを縦に挟み入れた点が古典的な感じを与える。構造は3平主3樑であり、內陣柱も平主として処理して宗道理(桁)は両方の柱の中央に置いた。平桁で、長欐を支え、台形の板台工を立てた。 大梁の断面は両面打ちした丸い四角形で、前面の柱にのみ板を支えた。內陣柱の頭には大梁と梁のような位置で合わせられ、大梁の下だけに梁を挟んで補強した。桁間としては 長欐が合い垂れ下がる。 この家は特に両側の羽の柱を本体の柱と区分することにより、構造体を完全に別にした。屋根の本体は切妻で羽は破風だが、右側前面のみ増築しながら、眉毛屋根を付け足して、まるで切妻に見える。 居間の平面構成はやはり南方式として、5間 -字形の前後退間である。間隔は一番北側から下の間、上の間、台所、居間、板の広間で構成した。1989年、母屋と居間を補修した。