道詵国師が風水地理説にもとづいて、ここの地形が船の形になっており、船の帆柱と船頭を象徴する千仏と千塔を建てたとして、俗に千仏千塔と呼ばれる。 しかし文献上に伝わる資料には未だにこの点に関する記録が殆んどなく、新增東国興奮地勝覧の綾城県条に〔雲住寺在千仏千塔之左右山背石仏塔名一千又有石室二石仏像相異座〕という記録が見られ、現存の千仏千塔の由来を推し量ることができる。 寺院境内の多くの石仏と石塔はその彫刻技法が丈夫で精巧に作られたのではない。造成年代は高麗中期の12世紀程度と評価され、一時になされたのでなく、長い期間をかけて続いたものと推定している。史跡第312号に指定された此処は、1984年以後4回の発掘と石造仏龕の解体・復元、円形多層石塔の補修, 一柱門の新築,ボジェガク新築をし、97年には臥仏進入路を整備した。現在寺院の境内には石塔21基, 石仏93体が保存されている。
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9層石塔 : 雲住寺は風水の地理上、舟型の国といい、9層の石塔は帆柱の役割をすると伝わっている。雲住寺で最も高い石塔で、石塔の横面の花模様が異色的である。(宝物第796号)
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円形多層石塔 : 円形多層石塔は床から塔の頂上まで丸い形をしており、現在は6層だが、その上に何層あったかが気になる。蓮花塔、トック塔などの別称がある。 (宝物第798号)
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雲住寺 石造仏龕 : 円形多層石塔の南側5m地点に位置するこの仏龕は八作屋根の形でその中に石仏坐像(二体)が、壁を間に挟んで互いに背中を当てている。 (宝物第797号)
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臥仏 : 道詵国師が一日昼、一日夜の間に千仏千塔を建て、新しい世界を開いてみようとしたが、工事が終わる頃、働くのが嫌な童子僧が「コケコッコ─」と鶏の鳴き声をしたために、石屋たちが夜が明けたと思って天に登り、結局臥仏として残ったという。臥仏が起きる日にここがソウルになると伝えられてきた。