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双峰寺 撤鑑(チョルガム)禅師塔

双峰寺 撤鑑(チョルガム)禅師塔
  • 指定番号 : 国宝 第 57号 (1962. 12. 20)
  • 規模 : 全高 2.3m
  • 年代 : 統一新羅景文王 8年 (868年)
  • 管理機関 : 双峰寺
  • 所在地
  • 住所 全南和順郡梨陽面甑里 山 195-1 双峰寺

説明
屠は僧侶の舎利を安置する一種の塔で、その形式によって八角円堂形, 石鐘形などに区分される。この浮屠の塔は八角円堂形に属する新羅時代の浮屠の中で、彫刻の装飾が華やかな最大傑作品である。 上下の各部が平面の八角形になっているのは当時の特徴だが、二段で構成された下台石の下段に雲文、上段に獅子を彫刻し、上台石には仰蓮の上に八角台石を置いた二重になった眼象の中に伽陵頻迦を一躯ずつ刻み、塔身を受ける部分には蓮花文が取巻かれている。塔身は各隅角に円柱形を立て、その上に柱頭を乗せ、各面には前後に門扉形、その左右に神将像、残りの二面に天人像を彫った。屋蓋部には垂木と瓦のくぼんだ部分が橫の角になり、獄吏には各面に一躯ずつ天人像がある。 全体的に彫刻が非常に精巧で、塔身の円柱にはエンタシス様式を加えており、屋根の軒端の丸瓦に蓮花文を彫った実力をみると、当時の彫刻師が信仰心を持って畢生の作業として作った作品だといえる。浮屠塔の高さは230cmで、材質は花崗岩である。 この塔の建立年代は禅師の入寂から遠くない時期と推定される。 撤鑑禅師の名前は朴道允から新羅の元聖王4年、漢州鵂岩で出生、帰信寺で華厳経を学 び、憲徳王17年に入唐して南泉普願に法を受け、文聖王9年に帰国、楓嶽山にしばらく注した後和順に移って来て双峰寺に住職後、景文王8年に入寂した。諡号は撤鑑、浮屠塔名を澄昭とした。新羅九山禅門の宗風として大きく振起させた人物である。